TKM 断層発見?

 

明星大学理工学部土木工学科助教授 年縄 巧

 

 「インド行かへんか」という電話が,田中仁史さん(京大防災研.当時豊橋技科大)から来たのは,2月22日の朝であった.準備に1週間以上かけた大学の公開講座「首都圏を大地震が襲ったら」が前日にやっと終わり,「そろそろ科研の報告書作りにとりかかろうか」などと思っていた矢先にこのお誘いである.詳しく話を訊いてみると,1月26日に起きたインドグジャラート地震(Mw7.6)の被害調査に4人で行く予定で,現在3人集まったのだけれど,もう1人がなかなか決まらず方々探しているということである.

 昼までには震源情報や被害情報を集めて頭に入れた.地震からは1月近く経っているけれど,それまで気にしていなかった自分にとっては,ほとんど始めて聞く情報である.午後に,田中さんから「どうや?」という電話をもらったときは,もう行くことに決めていた.翌日にはインド大使館に行ってビザの申請をし,A型肝炎,コレラ,それと破傷風の予防接種を受けた.実は,インドには15年前にも行っており,犬に噛まれて散々な思いをした経験があったので,狂犬病の予防接種も受けたかったのだが,近くの診療所では取り扱っていなかったので仕方なく諦めた.予防接種は,保険が利かないし,A型肝炎のように間隔を空けて何回か打たなければいけないものもあるので厄介だ.

 この被害調査隊は,日本建築学会鉄筋コンクリート構造運営委員会の支援を受け,現地調査組として田中さん,河野進さん(京大工学部),谷口規子さん(谷口建設)と私の4人と,バックアップメンバーとして渡邉史夫先生(京大工学部),鈴木祥之先生(京大防災研),中治弘行さん(豊橋技科大)で構成され,豊橋技科大,谷口建設,京大,明星大のそれぞれの頭文字を取ってTKM調査隊と名付けられた.現地調査隊は,先発組(河野さんと谷口さん)と後発組(田中さんと私)に分かれ,先発組は3月4日に出発,後発組は3月8日に出発し,ムンバイ経由でアーメダバードまでは空路,アーメダバードで合流して車で震源域に向かい,ここで3月14日まで調査を行い,3月16日に日本に帰って来た.写真−1はTKM調査隊の現地調査組のメンバーである.また,図−1はこの地震の震源域を示す.図中,は震央(Yagi & Kikuch,2001)を示す.



写真−1 TKM調査隊現地派遣組

(右から河野さん,田中さん,谷口さん,私)

 



図−1 インド・グジャラート地震の震源域

(震央,断層面はYagi & Kiuchi (2001)による)

 震源域の中でも,特に被害が甚大であった町バチャウ(BHACHAU)に着いたのは3月10日であった.ここでまた2隊に分かれ,河野・谷口組はバチャウで建物の被災度調査,田中・年縄組はバチャウの北にあるいくつかの村の被災度調査に行った.バチャウより北側は他の調査団もあまり調べていなかったようなので,震央(バチャウのやや西北)を挟んで被災度がどのように変っているのかを調べることが目的だった.また,今回の地震は規模の割に断層が地表に現れていないようで,応用地質がバチャウの西に地盤変状を確認した以外は,断層のようなものは発見されていなかったので,これを探す目的もあった.

 北へ向かう道路で,アスファルトに不連続がないかを注意しながら走った.いくつか紛らわしいクラックはあったが,周りの田畑を見ると目立った地盤変位はなかった.震央からかなり北にあるチョバリ(CHOBARI)の町を過ぎたあたりで,道路に圧縮性のクラックを発見した.この道はバチャウへ引き返す際にまた通る道なので,GPSでポイントだけ記録してそのまま通り過ぎた.最北端の村での調査を終え,来た道を引き返して先ほどのポイントに来た.断層と呼ぶにはとても小さなクラックではあるが,ひび割れが道路の横まで続いているのがそれまでのクラックと違っていた.田中さんとメジャーを当てたり,写真を撮ったりしていると,どこからともなく村の青年が集まってきた.ここに限らず,インドでは写真撮影していると人が寄って来る.

 彼らに捕まっていた田中さんが「おい.向こうに断層があるそうや」と叫んだ.ヒンディー語しか話さない彼らとの会話に疑問を持って「本当に断層って言ってるんですか?」と訊くと,「と,俺には聞こえた」と田中さん.すごい耳である.でも仕方がない.ガイドをバチャウに残してきてしまっているので,田中さんと彼らの話を信用するしかない.彼らの後を尾いてその場所まで行くことにした.それでもまだ半信半疑で,「こういうのって結構期待はずれなんですよね」とか言いながら畑の中を歩いて行った.

 でも期待はずれではなかった.彼らの指し示す場所に来ると,広範囲に渡って地盤が圧縮されて盛り上がっており,数10cm角のブロック状に地盤が割れ,それらのブロックがステップ状に上下方向にずれていた.各ステップは10〜50cm程度あり,トータルのずれは1.5mほどあった(写真−2).写真やビデオを撮りながら,「これは本物や.大発見やね.TKM 断層と呼ぶことにしよう」と田中さん.そしてこう付け加えた.「俺が人に言う時はTKM のTは田中のTと言う.あんたが人に言う時は年縄のTと言えばええわ」.この地点は,震央よりかなり北にあり,走向が北寄りになっているなど,本筋の断層ではないだろう,とこの時は思っていた.しかし,日本へ戻ってYagi & Kikuchi (2001)の断層パラメターを基に断層面を描いてみて驚いた.この地点(図−1の)は,断層面が地表に現れるところ(図−1の実線)とピタリと一致するのだ.

 

写真−2 ブロック状に割れた地盤

(彼らが事実上の発見者)


(としなわ たくみ)