地震後ほぼ2年になるトルコ・アダパザリ市を訪れて
東京大学地震研究所 工藤一嘉
アダパザリ市はトルコ最大の都市であるイスタンブールから約150km東部に位置し、2年前の1999年8月17日に発生したトルコ・コジャエリ地震により甚大な被害を受けた都市としてご記憶いただいていると思います。DRM(World Institute for Disaster Risk Management: 主宰 Virginia州立大教授 Krimgold)の呼びかけで、Adapazari市のSeismic Microzonationの計画が進行しています。去る6月19・20日にその第1回の打ち合わせが同市で行われましたが、出席の機会を得、Adapazari市の近況を垣間見ることができましたので手短に報告します。
イスタンブールからの高速道路を降りて北に3kmほど行くと、道は小高い丘をのぼり、市の中心部へと入ります。2年前の地震直後の9月に訪れたときは、その丘を下りきる付近から道路が水浸しになり、倒壊あるいは基礎を見せて横転した建物が目に飛び込んできました。今回同じ道を車で通過しましたが、倒壊した建物の大半は撤去され、主要道路から見る限りごく一部の被災した建物が残っているだけでした。市役所のある中心部では多くの人が行き交い、外見的には地震後の復興が進んでいる様子が伺われました。商店街には1階建てのプレハブ店舗が立ち並び、店先にも多くの人が出入りして活気があるようにも見えました。
写真1 アダパザリ市庁舎
少し不思議に感じたことに、概観ではほとんど被害が見られない(聞くところによれば内部も)市庁舎が立入禁止となっており,プレハブで執務が行われていることです。市長以下この建物を忌避しているようですが、1967年の地震(Mudurunu地震、M6.8、死者173人)でも軽微な被害があったとのことですが、人々の精神的ダメージがかなり大きいことの表われかとも思います。捨て去られる運命の建物のようです。
写真2 修復中の小学校
一方、修復中の小学校建物の見学が企画され、素人ながら見せてもらった感想では、この程度の被害ですんだのは幸いであるが、市庁舎よりはかなり構造的な被害を受けているのにこちらは建て替えでなく修復なのか?との印象をもちました。主な工事は写真正面にある柱の修復のようでしたが、写真3のような補強鉄筋で柱を補強する準備をしていました。
写真3 補修(強)作業風景
我が国では帯筋(見えるのは帯筋ではない?)の端部は90度以上曲げるようにと“門前の小僧”的に覚えていたのですが。このような補強で大丈夫なのでしょうか?
1999年コジャエリ地震によりアダパザル市(サカリヤ県)では16,000戸余りの住宅が倒壊・全壊しました。我が国を含む各国からの援助で仮設住宅が建てられ、10万人を超える人がそこで避難生活をおくってきましたが、今回2・3の仮設住宅地を垣間見た限りでは、いずれも90%以上空き家になっているようでした。
詳しい情報を求めた訳ではないので詳細は不明ですが、地震後の復興住宅団地に移住し始めたように思います。この地域では旧市街地の東および北東に2つの大きな団地が作られており、写真4は見学コースとなった市の北東10km弱の丘陵地に建設中の様子です。ここには約1万戸、約5万人の新しい町ができることになるようです。もう一つの大団地も同じような規模とのことです。 市街地からかなり離れているため、市街地までの高速道路が整備されるとのことです。
写真4 建設中の復興住宅団地の一部(アダパザル市北東の丘陵地)
DRM主催の会議は、サカリヤ大学が併設しているホテルで行われましたが、サパンジャ湖を見下ろす高台にあり、今後アダパザリ市周辺を調査される方には便利ではないかと思います。2年前はイスタンブールから毎日往復しなければならず、調査時間が極めて限定されたことを思い出しました。