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トルコ旅記(その2)

 東京電機大学 教授 片山 恒雄


2001年1月9日(火)- 2日目

進む住宅再建

 朝7時半にイスタンブールを出発、ボスポラス海峡を吊り橋で越え、アジア側に向かう。1万数千人といわれるマルマラ地震の犠牲者の9割以上は、イスタンブールより東側、マルマラ湾の奥の南側に沿った都市で亡くなった。

 9時半、コジャエリ県知事を訪問。テレビや新聞のカメラが10数台待ちうけている。言葉が通じないので直接インタビューを受けないですむのは幸いだが、付き添ってくれたトルコの人によると、「次の地震はいつ起きるのか」という質問が圧倒的に多かったという。

 10時半、コジャエリ大学を訪問して、副学長と会う。学長はお医者さんでちょうど手術中とのことだ。1992年に出来た比較的新しい国立大学で、市内のこのキャンパスが手狭になったため、新しいキャンパスを郊外につくっていた。それが、地震で大被害を受けたので、今は、第3の地に仮のキャンパスをつくっているとのことだ。

 公共事業省の現地事務所へ行って、地震後の復興計画のブリーフィングを受ける。全国で約10万の家族が住むところを失った。このうちの5万4千世帯を対象に住宅再建計画が進められている。1万4千世帯は政府から1万ドル相当のローンをもらって自力復興する。残る4万世帯のうち、2万5千世帯のアパートを公共事業省が建設、コジャエリ県ではそのうち6千7百世帯分をつくっている。4万世帯の残りの1万5千世帯に対するアパートは、首相府の責任で建設する。この場合も、1万ドルの無利子クレジットが得られる。1万ドルは2年間は返さなくてもよく、その後20年間で返すことになっている。トルコでのインフレを考えると、かなり容易に返せる額のようだ。アパートの入居は翌月(2001年2月)から始まり、3ヵ月後には全国の5万4千世帯がすべて新しい住宅に入る予定という。

 ただし、これらの計画に入れない家庭が全国にまだ4万から5万世帯も残されている。もともと借家住まいの人は後回しという割り切りもすごい。

分譲団地を見る

 コジャエリ県につくっている分譲団地は、市の中心部から3キロほど離れた丘の上にある。道路整備が遅れて砂ぼこりはひどいが、何百棟というアパートが建ち並ぶ光景には、ある種の感動を覚える。見えるところで政府が何かしているということが、被災者に与える安心感は大きいだろう。アパートは、3LDK・百平米位の広さで、価格は2万5千〜3万ドル程度になるらしい。およそ250万円だが、このうちの100万円ほどが国からの無利子ローンとなる。

 これらの入居が来月から始まるのだ。この辺から、トルコ政府が水戸黄門さまに視察を頼んだ目的が少しずつわかってきた。政府の住居対策が目に見える形になったところで、「復興が進んでいる」ということを国民にアピールしたいのだ。日本の専門家が現地を視察する様子を、メディアが追っている。われわれの動向をテレビや新聞で国民に知らせようという政治的な目的が見えてくる。しかし、復興住宅が建ち並ぶ姿は、やはり感動的だ。

 イスタンブールと違って、ここでは、お金や人が動き、ものが出来上がる姿が見える。黄門さま一行の意見はこうだ。被災したところが大都市の中心ではない、土地が十分あるのだ。お金さえ工面できれば、中心部から離れたところに新しい町をつくれる。万一イスタンブール市が大震災を経験したときには、こうは行かないだろう。これからの世界に残された地震問題はやはり大都市対策である。

欲張らない危機センター

 昼食後コジャエリ県の危機センターを訪ねる。2百平米程度の平屋建ての建物が20戸も建てられているだろうか。日本でいえば、建設工事の現場事務所といった感じであり、それぞれの建物が別々の目的を持つ。1つの大きさは、ちょうど小学校の教室2つ分位である。会議用の建物、情報処理伝達用の建物、非常時に食事をつくる危機センターの台所。別の建物の中には、非常時に最初の出動チームが持ち出すいろいろな用具が1組だけ並べてある。もっと必要になったら別の建物から出してくればよいということだ。

 マルマラ地震の経験から、「何が困ったか」「何が必要だったか」と考えた末につくり上げたセンターである。一見バラックが並んでいるだけのように見えるが、「欲張らない」「無駄がない」というコンセプトには好感が持てる。立派なビルを建てるのではなく、必要最小限の機能の集まりをつくったのである。しかし、これも土地があって初めて可能なのだ。

 会議用の建物でマルマラ地震に関する説明を受ける。ここでもパワーポイントによる説明だ。同席させられた県の出席者は、いいかげんうんざりという感じである。これまで何回も、われわれのようなビジターとの対応に借り出されたのだろう。県の説明が一通り終わったところで、午前に会った大学の副学長が自分たちがつくった資料をパワーポイントでもう一度説明。県の説明との重複など、どこ吹く風である。うんざり度がさらにアップしている様子がうかがわれる。大学教授の身勝手さを見せつけられた感じだ。

 最後にコジャエリ大学の第3キャンパスを視察。埋め立て地につくられている。副学長は地盤には問題はないというが、とてもそうは思えない。副学長自身の研究室、地震学の研究室に顔を出したら、若い研究者が、「カタヤマセンセイ」と呼びかけてきた。日本に研修に来ていたときに会った学生だ。世界は狭い。

 アジアホテル着6時。(その2の終わり)


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