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IDNDR が残したもの−私の国際交流(その9)

 東京電機大学 教授 片山 恒雄


 「国際防災の10年」が終わってから、すでに10年以上が経った。発足当時からの経緯をご存じない方も増えているように思う。国際地震工学会の事務局長として、この国連プロジェクトにどっぷり浸からざるをえない立場にあったものとして、簡単でもよいから、書き残しておきたいという気がする。

お題目と草の根的な活動と

 IDNDR 「国際防災の10年」が後半に入ると、国連に頼っていては、10年計画の成果は達成できそうもないことがはっきりしてきた。と言って、あまり国にも頼れない。例えば、IDNDRに対するわが国の取り組みとして、国土庁(当時)を事務局として、内閣総理大臣を本部長とする「国際防災10年推進本部」が設置された。ここを中心に、関連施策の総合的かつ効果的な推進を図ってきた、と言うのが国の正式見解である。資料によれば、関係省庁はIDNDRに関連して様々な活動を行ったことになっている。しかし、それらの施策は省庁ごとにバラバラであって、しかも、そのほとんどはIDNDRがなくても、従来の防災対策の一環として実施されていたであろう性格のものであった。

 多少ひいき目に見ると、IDNDR を支えたのは、結局INCEDEとかWSSIのような草の根的な活動だったと言えるかも知れない。INCEDEは主として途上国への防災情報の発信基地として認められるようになったし、WSSIはこれも途上国対応のハイレベル・ミィーティング(HLM)で知られるようになった。

 それでは、IDNDRが残したものは何だったのか。きわめて主観的にまとめると、以下の3つではなかろうか。
    @ 災害を世界の公式の場に引っぱり出した。約150カ国にIDNDR委員会が設置。
    A「金が無くても」というボランティアの活動を巻き起こした。そして、
    B RADIUS プロジェクトの成功
である。

RADIUSプロジェクトの成功

 IDNDRは1999年12月31日をもって正式に終了したが。この10年計画の期間中に最大の成果を上げたのは、都市部の地震災害分析を行うリスク評価ツールRADIUSの開発であろう。Risk Assessment Tools for Diagnosis of Urban Areas against Seismic Disasters という長い名前のプロジェクトである。前にも述べたように、日本政府はIDNDRがスタートしたときからこの国連プロジェクトに毎年5千万円から1億円ほどを拠出していたが、そのほとんどが事務局経費として消えてしまうことへの不満は大きかった。

 RADIUSプロジェクトのアイデアは1993~1994年頃から検討されていたが、IDNDR事務局がRADIUSイニシアチブを開始したのは1996年、実際に動き出したのは1997年、IDNDRがあと3年を残すのみとなった時であった。

 RADIUSは、IDNDR事務局の主導的な役割によって、日本政府の資金協力を得て実施された途上国の大都市における地震対策推進プロジェクトである。9つの都市で行ったケーススタディをもとに地震被害シナリオと行動計画を作成し、その経験から都市における地震対策推進のための簡単なマニュアルを開発した。国連の活動が概して政府間会議を開いて、報告書をつくることになりがちであるのに比べ、途上国のいくつかの大都市で実際に地震対策が進められ、またその成果にもとづきどんな都市でも使える地震対策マニュアルを開発したことに特徴がある。IDNDR事務局の本務は調整が中心であり、自らプロジェクトを実施することは想定されていなかったため、RADIUSは内部的には最初から異端視され続けたが、結果的には、IDNDRの期間中に行われた国連プロジェクトとして、最も成果をあげたとの評価を受けた。

 RADIUS の具体的な目的は以下の4点であった。
(1)世界の9都市でケーススタディを実施し、地震被害シナリオを作成、それに基づいて行動計画(アクションプラン)を策定する。
(2)ケーススタディに基づいて、世界中のどの都市でも活用できるような、地震対策のための実用的なマニュアルを開発する。
(3)世界の都市における地震被害リスクを比較するための調査研究を実施する。
(4)地震対策に関する都市レベルでのネットワークを構築し、情報交換を促進する。

 1997年はじめ、世界の主要都市にRADIUSプロジェクトのケーススタディ都市として参加を呼びかける手紙を発送したところ、途上国を中心に58都市から応募があった。これらの中から、1998年1月に9つのケーススタディ都市を選定した。9つの都市は、地震対策への意欲は高いにもかかわらず、資金的・技術的な理由で対策が進んでおらず、外部からの援助が必要と判断したところであった。IDNDR事務局は、各都市に対して、プロジェクト実施に必要な国際研究機関の協力を得るための費用として、1都市あたり5万ドルまたは2万ドルを提供すると同時に、18カ月で仕事を完了するよう求めた。

 地震被害シナリオを準備するため、まずそれぞれの都市にもっとも大きな影響を及ぼすと思われる地震の規模と震源を想定し、その地震から想定される震度分布に基づいて、建物やインフラの被害、建物崩壊や火災等による人的被害、それらの都市機能・活動への影響予測、想定された被害に対する危機管理計画を策定する。さらに、9つのケーススタディの結果に基づいて、地震対策推進のための実用的なマニュアルを開発するのである。これら一連のケーススタディは、予定通り1年半で終わった。

結局は人が大切

 RADIUSプロジェクトに対する国連の総支出額は約250万ドル(約2億5千万円)で、そのほとんどはIDNDR信託資金から支出された。この信託基金への最大の出資者は日本政府であり、RADIUSの資金は実質的に日本政府の拠出によってまかなわれた。関係した専門家の人たちの献身的な協力を考えれば、実際に投資された資金は約4億円程度であろうが、RADIUS プロジェクトは、その投資額をはるかに上回る成果を上げることができた。

 9つのケーススタディ都市では、その活動がマスメディアによって広く報道され、市民の地震防災に関する意識が飛躍的に高まった。RADIUSの成功は、建設省からIDNDR事務局に4年間出向し、RADIUS実現のために世界中を飛び回った、岡崎健二さん(現・政策研究大学院大学)というキーマンなしでは考えられない。

 岡崎さんは、こう書いている。

「災害発生後の緊急活動が世界的な脚光を浴びやすいのに比べ、防災対策はまことに地味である。救助活動はマスコミも競って取り上げるから、各国も援助しやすい。一方、防災対策はうまくいけば災害が発生しないのであるから、マスコミも取り上げ方が難しく、従って先進国政府も防災部門への援助については力が入らないというのが実情である。しかしながら、緊急対応のコストが膨大になりがちであるのに、結果的に救える人命はわずかであり、何より既に失われた多くの人命が戻るわけでもなく、その投資効果は事前の防災対策に比べて低い」

 前のほうで、私は、「RADIUSは、IDNDR事務局の主導的な役割によって、日本政府の資金協力を得て実施されたプロジェクト」と書いたが、「日本からIDNDR事務局に出向した岡崎さんという個人の努力により、ほぼ100%日本からの拠出金によって実施されたプロジェクト」といった方が正確だろう。もちろん、日本政府からの2億5千万円の拠出金がなければできなかったプロジェクトである。しかし、RADIUSの成功を思うにつけ、国際協力の場における個人の大切さを認識せざるをえない。今後、防災における日本の役割を考えると、世界で活躍できる人材育成の重要性は強調しすぎるということはない。(その9の終わり)


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